キムジョンデのことを「いいな」と思った瞬間のことを、私は今でもよく覚えている。
あれは忘れもしない、2018年1月に、EXOが日本のテレビ番組「スッキリ」に出演したときのことだ。一生懸命喋る高身長のイケメンの間に見え隠れする、ぱっつん前髪でにこにこと笑う男の子。
その「彼」が特別歌が上手いメンバーであることは認識していたが(初めて聴いた時から彼の声が病的に好きで、EXOの音楽を聴いた時「チェンくんの声だ」とすぐにわかる唯一のメンバーだった)、なぜあんなに唐突に、まるで雷に打たれたように「この人が好き」と思ったのかは、自分自身でも未だによくわからない。
私がEXOを知ったのは妹経由だ。一番最初は彼らの2作目のリードトラック、”Call me baby”のプロデューサーがテディ・ライリー*1であると聞いて、うわ〜K-POPって国策だけあってお金かけてるな、すごいな、と思った。のちのち彼らの所属するSMエンタがどれほどの予算をかけて楽曲を買い付けているかを知る訳だが、それはずっと後の話。
聴いてみると、確かにテディの音そのもので、何よりMVの画面にこれでもかとばかりに登場する美しい男の子たち(そう、当時の彼らにはまだ少年ぽさが残っていて、これに熱狂するのはショタ的後ろめたさがあると感じていた)に、韓国の本気を見たような気がした。「ほー、これはみんながハマるのもわかるわ、音楽もいいし」ぐらいの気持ち。それまでの私は、音楽オタクであったことは間違いないものの、ただの一度もアイドルにハマったことはなかった*2。
最初に聴いたのはEXO-M版である。妹は当時強火のタオペンだったし、私自身2012年頃までしばらく大陸に住んでいたこともあって、中国語の勉強のつもりでEXO-Mの音源を聴くようになった。聴けば聴くほどに非常に作り込まれた音楽であることがよくわかり、何より彼らの歌唱力も相まって、これは売れるのがよくわかる、と思った*3。それでも当時は「私が好きなのは、アイドルとしての彼らではなく、あくまで彼らの音楽」という認識止まりであった。
当時の私は、Youtubeの再生回数を伸ばすとか、音源も音盤も購入するとか、コンサートでペンライトを振るとか、そういういわゆる「アイドルを応援する」という一種の様式に関して、完全に無知だった。
この点に関しては、のちのち「ジョンデ堕ち」してから学習することになる。人間いくつになっても、好きなことはスポンジのように吸収できるものだと我ながら呆れるほどだったが、妹に言わせると「昔からどう見ても情報収集癖のすさまじいオタク、かつ好きなものには躊躇いなくお財布を開く人間」だったそうなので、単に自身のオタク的素養を開花させる対象が、ようやく見つかったというのが正確なのかもしれない。
そしてその頃ようやく、私はSMエンタの看板的プロデューサーである、ユ・ヨンジン氏を知ることになる。SMの偉大な功労者であろう彼の歌声と音楽を聴いて、私は本当に衝撃を受けた。これほどまでにソウルフルかつ多様な音楽を作り上げるこの人が何者であるのか、猛烈に興味を掻き立てられ、彼の作品をYoutubeで順に追いかけ始めた。
[STATION] 유영진 X D.O. 'Tell Me (What Is Love)' Epilogue
度肝を抜かれたのが、彼がギョンスと歌ったこの曲だった。もちろんユ・ヨンジン氏の歌唱も素晴らしいが、二十歳そこそこの、東アジアに生まれ育ったドギョンスという男の子が、一体なぜここまで「ソウル」を体現できるのか、私は俄然EXOに興味を持つようになった(とは言え、この時点ではメンバーを見分けることすら怪しい状況だったが)。
そんな中での、と言っても、コミベビから既に2年以上が経過した後であるが、冒頭の「スッキリ」である。 なぜあの時、あんなにもキムジョンデに惹き付けられたのか。目が合ってしまった、そうとしか思えない(画面越しww)。にこにこと八の字眉毛で、みんなの話に頷く彼を見て、歌う姿とのあまりのギャップに驚いた(のだと思う。今となってはおぼろげな記憶である)。
とにかくあの時、私ははっきりと「歌声だけではなく、この人のことをもっと知りたい」と思ったのだ。
EXOを好きな方にならお分かり頂けると思うが、あの時の彼の髪型は、控えめに言って史上最悪の部類である。もちろん今となっては愛が深まり「ジョンデの前髪がどれほど短くなろうが、私の愛は揺るがない」という境地に達しているが、一目惚れする対象なら、他にもたくさん候補がいたはずだ。「私、どうやらジョンデ堕ちしたみたい」と宣言した時の妹の驚愕の表情は、今でも忘れられない。
仕事は忙しく、他に追うべき趣味もあったのに、それから私は寝る間も惜しんでキムジョンデの情報を収拾するようになった。
順を追って歌を聴けば、そもそも才能のあった彼の歌声が、時間の経過とともにどんどん多彩になっていくことに驚かされる。過去から現在まで、知れば知るほど掴めない人で、追えば追うほど意外な一面が次々に現れる。気がついた時には、一人では背負いきれないぐらいの重い愛を抱えていた。
引き返せない地点まで来ていると気づいた頃には、既に2018年のCBXの公演の抽選は終わっていた。とはいえ、大人の執念を持ってすれば何とかなるものである。小躍りしながら韓国アイドルのライブに一人参戦し、果てはペンラを振って歓声をあげるなんて、数年前の自分が聞いても絶対に信じなかったに違いないが、大阪城ホールで「キムジョンデが実在する」という事実に胸打たれ、私の中の情熱はここから更にヒートアップしていく。
私のファンクラブ処女も、一人ライブ参戦処女も、スローガン処女も、全部キムジョンデに捧げたようなものである(言い方が気持ち悪いww)。もはや完全にキムジョンデの女と化した私。
知れば知るほどジョンデを好きになり、更には彼というフィルタを通してEXOのそれぞれのメンバーへの愛も深まり、ついには自分自身のアイデンティティや、国防とは何かといった壮大なテーマにまで思いを巡らすようになってしまった。
Twitterや妄想では吐き出しきれない思いは、時々ここに綴ろうと思う。特に音楽のことやステージのことは書き出したらキリがないので、とりあえず今日はここまで。
*1:80年代後半から活躍した超大物プロデューサー。New Jack Swingと呼ばれる、ヒップホップとR&Bを足して割ったような音楽ジャンルを確立した人。マイケル・ジャクソンやホイットニー・ヒューストン、アッシャーなどの数多くのヒット曲を手がける。
*2:ただし今振り返ればこれはただの環境要因であるとしか思えない。10代の始めから洋楽しか聴かなくなった私は、好きなアーティストのライブに行こうにも、グッズを買おうにも手立てがなかったが、家でラジオにかじりつき新しい音楽の情報を収集する(そのために英語を学ぶ)、購入したCDのクレジット(プロデューサーやバックアップアーティストの情報)を調べるといった、「オタクの萌芽」的活動はずっと続けてきたのだから。もし当時の私がアメリカに在住していたら、間違いなくコンサートのために大陸5往復ぐらいはしていただろう。
*3:とは言え、今冷静に考えてみるとEXOの曲はどれもこれも「わかりやすい」売れ筋路線とは言えない。音楽オタクの私の心には猛烈に響くものがあったが、一般的なリスナーに受ける路線かと言われると、相当疑問である。それを思うと、彼らのビジュアルやパフォーマンスの力は絶大なのだと改めて思わされる。